番頭デュークの業務日誌
蒸し暑い秋
2008年09月05日
暦ではもう秋なのに、今年もまた残暑厳しく、夕方になってもやたらと蒸し暑くて、毛玉族にはまだまだしんどい毎日です。
新着情報をアップするのに、一昨日徹夜したのがモロひびいて、いきなり朝起きられなくなった店員Hのせいで、早朝散歩に行けなくなり、今日は夕方遅く、もう日もとっぷり暮れようかという時間帯になって、ようやく散歩に出かけました。
いまだにエアコンが止められないあんこ~る家。玄関ドアを開けるなり、もわぁ~~~っと蒸しあつ~~~~い空気に包まれました。気持ちわる~~~~い!!!
それでも、一日ウ○チを我慢し続けたポメンズたちは、すでに行く気満々で、店員Hのやめませんか?オーラになど、気付くはずもござりませぬ。
ハッスル!ハッスル!状態で、エネルギー充填状態!当然ながら、もうその状態が止まるわけもなく・・・。
結局、店員Hをひきずって、颯爽とお散歩です。
最初の内は、エネルギー全開!で、パワフルだったポメンズの歩きも、あまりの蒸し暑さに、舌がなが~く出始め、ハアハア息遣いも激しくなり、その内、明らかに歩く早さがダウンしてきます。
疲れ切った人間ひとりとポメ2匹、帰りはどよ~~~~んと重い足取りで、なんとか家までたどりつきましたとさ。
散歩中も、短い生を精一杯生ききってお亡くなりになられたアブラゼミさんが、あちこちにコテンとひっくり返っておられるのを見て、なんまいだぶと手を合わせましたよ。
とてつもなく長い時間を土の中で過ごし、やっと外に出て来られたと思ったら、たった数日間の命。そんな短い生を謳歌するかのように、ミンミンミンミン鳴きまくって、我ここにあり~!と、まるで声張り上げてその存在をしらしめんとするかのような鳴き声で鳴きに鳴いて、パタッとこの世とおさらばする、その蝉さんたちの「あはれ」をたまらなく切なく感じる今日この頃なのであります。
都会で暮らすようになってからというもの、やたらとそんなセンチメンタルな気持ちをもつようになってしまった店員Hです。なので、蝉さんたちの死骸を見ると、せめて土におかえりなさいな!と、土の上に置きなおしてあげるのが癖になりました。
アスファルトの上で、車や自転車に轢かれて、バラバラになっていくのは偲びないですからねぇ。
ひとつ忘れられない思い出があります。
その昔、店員Hが幼い頃、夏休みに神奈川の叔母のところに遊びに来た時のこと。
夏休みには、しょっちゅう網ひっさげて蝉とりをして遊んだのですが(女の子なのにこういう遊びが大好きで、思えばやんちゃばかりしていた変わった女の子でした。)、その蝉が気に入って大事に虫カゴに入れて、はるばる神奈川の旅に連れてきたのです。
小田急線の新宿駅のホームで電車を待っている間に、手がすべって持っていた虫カゴをホームの下に落としてしまいました。
父母は諦めなさいと言ったのですが、哀しくて諦めきれず見つめていると、頼んだわけでもないのに、それを見ていた駅員さんたちが2,3人で来てくれて、もうすぐ電車が入ってくるホームで、「蝉だって小さな命だから」と、必死になって虫カゴを拾って返してくれたのでした。
田舎ではぎゃんぎゃん鳴いてうるさいくらいの蝉ですから、蝉など死んでいても、誰も気にしません。そんな存在の薄い蝉を、こんなに一生懸命になって拾ってくれるなんて!
幼な心にやたらと感動したのを覚えています。
思えば、あれも命の大切さを学んだ瞬間だったんでしょうね。
叔母の家に着いてから、従姉妹に見せた後、その蝉を自然に戻してあげることにしました。
それ以来、虫とりをしなくなりました。
蝉の声を聴くと、今でもその時のことが思い出されます。
蝉の声と秋の虫の声が交替を告げています。
蒸し暑さの中にも秋の空気が漂う、そんな季節の変わり目。
ちょっとセンチメンタルな夜、月を眺めながら、そんな思い出にもちょっとだけふけって、往く夏を惜しんでみた店員Hでありました。
番頭も散歩の後はお疲れモード全開で、自ら腕枕しちゃってスヤスヤ夢の中。
なんか夢見て、小難しい顔して、むにゃむにゃ言いながら寝てますね?
いったいなんの夢を見てるんだか?
新着情報をアップするのに、一昨日徹夜したのがモロひびいて、いきなり朝起きられなくなった店員Hのせいで、早朝散歩に行けなくなり、今日は夕方遅く、もう日もとっぷり暮れようかという時間帯になって、ようやく散歩に出かけました。
いまだにエアコンが止められないあんこ~る家。玄関ドアを開けるなり、もわぁ~~~っと蒸しあつ~~~~い空気に包まれました。気持ちわる~~~~い!!!
それでも、一日ウ○チを我慢し続けたポメンズたちは、すでに行く気満々で、店員Hのやめませんか?オーラになど、気付くはずもござりませぬ。
ハッスル!ハッスル!状態で、エネルギー充填状態!当然ながら、もうその状態が止まるわけもなく・・・。
結局、店員Hをひきずって、颯爽とお散歩です。
最初の内は、エネルギー全開!で、パワフルだったポメンズの歩きも、あまりの蒸し暑さに、舌がなが~く出始め、ハアハア息遣いも激しくなり、その内、明らかに歩く早さがダウンしてきます。
疲れ切った人間ひとりとポメ2匹、帰りはどよ~~~~んと重い足取りで、なんとか家までたどりつきましたとさ。
散歩中も、短い生を精一杯生ききってお亡くなりになられたアブラゼミさんが、あちこちにコテンとひっくり返っておられるのを見て、なんまいだぶと手を合わせましたよ。
とてつもなく長い時間を土の中で過ごし、やっと外に出て来られたと思ったら、たった数日間の命。そんな短い生を謳歌するかのように、ミンミンミンミン鳴きまくって、我ここにあり~!と、まるで声張り上げてその存在をしらしめんとするかのような鳴き声で鳴きに鳴いて、パタッとこの世とおさらばする、その蝉さんたちの「あはれ」をたまらなく切なく感じる今日この頃なのであります。
都会で暮らすようになってからというもの、やたらとそんなセンチメンタルな気持ちをもつようになってしまった店員Hです。なので、蝉さんたちの死骸を見ると、せめて土におかえりなさいな!と、土の上に置きなおしてあげるのが癖になりました。
アスファルトの上で、車や自転車に轢かれて、バラバラになっていくのは偲びないですからねぇ。
ひとつ忘れられない思い出があります。
その昔、店員Hが幼い頃、夏休みに神奈川の叔母のところに遊びに来た時のこと。
夏休みには、しょっちゅう網ひっさげて蝉とりをして遊んだのですが(女の子なのにこういう遊びが大好きで、思えばやんちゃばかりしていた変わった女の子でした。)、その蝉が気に入って大事に虫カゴに入れて、はるばる神奈川の旅に連れてきたのです。
小田急線の新宿駅のホームで電車を待っている間に、手がすべって持っていた虫カゴをホームの下に落としてしまいました。
父母は諦めなさいと言ったのですが、哀しくて諦めきれず見つめていると、頼んだわけでもないのに、それを見ていた駅員さんたちが2,3人で来てくれて、もうすぐ電車が入ってくるホームで、「蝉だって小さな命だから」と、必死になって虫カゴを拾って返してくれたのでした。
田舎ではぎゃんぎゃん鳴いてうるさいくらいの蝉ですから、蝉など死んでいても、誰も気にしません。そんな存在の薄い蝉を、こんなに一生懸命になって拾ってくれるなんて!
幼な心にやたらと感動したのを覚えています。
思えば、あれも命の大切さを学んだ瞬間だったんでしょうね。
叔母の家に着いてから、従姉妹に見せた後、その蝉を自然に戻してあげることにしました。
それ以来、虫とりをしなくなりました。
蝉の声を聴くと、今でもその時のことが思い出されます。
蝉の声と秋の虫の声が交替を告げています。
蒸し暑さの中にも秋の空気が漂う、そんな季節の変わり目。
ちょっとセンチメンタルな夜、月を眺めながら、そんな思い出にもちょっとだけふけって、往く夏を惜しんでみた店員Hでありました。
番頭も散歩の後はお疲れモード全開で、自ら腕枕しちゃってスヤスヤ夢の中。
なんか夢見て、小難しい顔して、むにゃむにゃ言いながら寝てますね?
いったいなんの夢を見てるんだか?