番頭デュークの業務日誌

画像: ゆうくんの四十九日です。

ゆうくんの四十九日です。

2014年12月23日


今日、12月23日は、ゆうくんの四十九日です。

もうそんなに経ってしまったんですね。


昨日、ゆうくんのために予約しておいた、クリスマスプレゼントのごちそうが届きました。

去年も、同じようにポメ店長とゆうくんのために予約して、ポメ店長が食べられないまま虹の橋に行っちゃって、ゆうくんがひとりでせっせと食べてくれたよね。

なのに、今年は、ゆうくんが行っちゃって、それをココアさんが食べてくれる。

なんだか不思議で仕方ありません。

ごちそうを見て、切なくなりました。

みんなで食べられたら、もっとよかったのに・・・・。

クリスマスが、とっても切ない日になっちゃったよ。



ゆうくんのこんな笑顔に会いたくて会いたくて仕方ありません。

叶わぬ夢とはわかっていても、やっぱり無性に会いたいのです。


この笑顔から、どれほどの元気をもらえたか・・・。

どれほど励まされたか・・・癒されたか・・・。

やんちゃなゆうくんの仕草に、どれほど笑顔にさせてもらえたか・・・。

キミが一生懸命歩く姿に、ひたすらに今を生きる姿に、
どれほどの勇気をもらえたか・・・。


計り知れないほどの幸せを、逆にゆうくんから貰っていたんだなあと、今、彼を喪って、改めて実感しています。


番頭デュークの時も、そうでした。

ポメ店長の時も、やっぱりそうでした。

ワンコとの暮らしは、人生を豊かにしてくれる、何ものにも代えがたい、そんな素敵な贈り物でした。

見返りを求めない、裏切りのない、一心不乱の無償の愛を、3兄弟から貰い続けました。


2001年4月1日、ゆうくんが産まれた日です。

そこから、2010年6月16日に、うちの子になってくれるまでの9年間のゆうくんの犬生は、残念ながら、店員Hは知ることができません。
共有できなかった、その9年間、いったいキミはどんな犬生を生きてきたんでしょう?


うちに来る前の2年間の暮らしぶりは、その間、ずっと見守り続けてくれたシッターのSさんから、少しだけ教えてもらうことができました。

猫さん3匹と一緒に、帰らぬお父さんを、2年間もの長きにわたり、待ち続けたと聞きました。

当初は、Sさん、日に2回の訪問だったそうです。

Sさんが玄関ドアを開けると、いのいちに駆け寄ってくるのは、いつもゆうくんだったそうです。

淋しくて、猫さんたちに近寄ると、猫さんたちは高いところにささっと逃げてしまい、関わろうとはしてくれません。
ゆうくんは、結局ひとり淋しく、2年もの間、孤独な時を過ごしていたようです。

やがて、お父さんの資金も尽き、2010年の春頃から、日に1度の訪問になってしまったんだそうです。

そこから6月16日にうちの子に迎える日までは、食事も日に1度きり。

迎えに行ったその場で、ご飯をもらって食べるゆうくんのがっつきぶり、今も思い出しては切なくなります。

お腹もすかせて、ひとりで寝て過ごしていたんでしょうか。


うちに迎えた当初は、突然知らない家に連れて来られて、恐かったんでしょうね。

突然、ふたりの兄ちゃんもできて。


キャリーから出て来られず、兄ちゃん達や、店員Hが近づこうとすると、慌ててピュッとバックオーライ!でキャリーに戻ってしまい、一緒に我が家まで同行していただいたケイトさんに、「ヤドカリくん」というあだ名まで拝命しました。

翌日には、少しずつ行動範囲が拡がって、婿入り道具で一緒にやってきた高級な木製の「マイハウス」くんから、おどおどと出たり入ったりして、その天性の天真爛漫さで、少しずつ心を開き、兄ちゃん達とも少しずつ交流し始めました。


この「マイハウス」が、ずっとずっと、ゆうくんの心の拠り所だったんだね。

お父さんが愛するゆうくんのために買ってくれた大事な「マイハウス」くん。

幸せな時もあったんだなって、これ見れば、わかるよ。

だから、よけいに切ないんよ。

2年もの長い間のキミの淋しさを想うと・・・


だからこそ、その後の店員Hは、ず~っとゆうくんと共にありました。

特に、ポメ店長が亡くなってからのこの1年は、一時も離れず、ゆうくんとひたすらべったりの生活でした。

ゆうくんの気持ちに、とことん寄り添いたかったから。


最後のこの1年は、ゆうくんがマイハウスに入っているのを、実は殆ど見ていません。

時々入るのですが、すぐに出てきてしまいます。

なんでだろう?っていつも思って見ていました。

うちに馴染んでくれたってこと?・・・・

それならとても嬉しいけど・・・


店員Hの姿をひたすら常に探している子でした。

それだけ頼りにされれば、応えないわけにいきません。

本当に最後の1年は、ゆうくんと一心同体の日々でした。

それは、とっても幸せな日々でした。

11月5日に、その幸せな日々が、突然終わりを告げる、その瞬間までは・・・。


2.8キロの小さな体のゆうくんですが、店員Hにとっては、本当に大事な大事な、おっきなおっきな存在でした。


今も、ふとした瞬間に、ゆうくんが店員Hを探して駆けてくる足音が聴こえます。

ゆうくんの「マイハウス」くんは、変わらずここにいるのに、主であるゆうくんがいません。

どうしても、マイハウスの中を、日に何度も覗いてしまいます。

そこにも、いないんだね・・・。

どこにいるの?

未だに、癖で、「ゆうく~ん、ここだよ~!ここにいるよ~!」と叫んでしまっては、彼がいないことに気づき、つい涙する毎日です。


そろそろ悲しむのをやめてあげないと、魂がお空に昇れないって言いますが・・・

いてくれるなら・・・そのまま、ここに居てほし~な・・・なんて、我儘言いたくなってしまいます。


うちの子になってくれてから、4年4ヶ月。

ゆうくんは、幸せだったのかな?

訊いてみたかったな・・・。



12月17日、丸13年、奇しくもゆうくんと同級生、ゆうくんと同じ歳月を、3兄弟を乗せて走ってくれた愛車ファンカーゴが、引退しました。

ひとめぼれで決めた愛車。

2001年11月に新車で我が家にやってきた、トヨタのシルバーのファンカーゴ、Xリミテッドの限定車。


10月29日に、ゆうくんが選んで決めていったトヨタの黄色のスペイドが、17日、ファンカーゴに代わってやってきました。

もしかしたら、ゆうくんにはココアさんが来ることわかってて、ココアさんにピッタリな色の車を選んでいったのかもしれません。

ゆうくん自身は、まるで「ボクは兄ちゃん達と乗ったファンカーゴでいいんだよ」って言うかのように、一度もその選んだ車に乗ることなくお空に向かってしまいました。

乗せてあげたかったよ。ゆうくん。


3兄弟を乗せて走り続けたファンカーゴは、中古車として第二の車生を生きるようですが、その魂は、既にお空に昇って、3兄弟を乗せてあの大空を走り回っていることでしょう。


3兄弟も、彼らとの思い出を一杯紡いだ愛車も、みんな去りました。

どうしようもない淋しさだけが募ります。


それでも、前を向かなけれないけないんですよね。


ゆうくんが選んでくれた車と、そして、ゆうくんが繋いでくれたご縁の「ココアさん」との、新しい未来を、生きていかなければ。


ゆうくん、本当に行ってしまうんですか?

もうポメ兄とデューク兄には会えてるんだよね?


もうキミに触れることはできないけれど、
その笑顔を直接目にすることはかなわないけれど・・・。

淋しくて、淋しくて、どうしようもない時もあるけれど・・・

キミがくれた、たくさんの愛を、今度は、ココアさんに注ぐために、前向いて頑張るね。


最近ね、ココアさんがね、なんだかキミにそっくりで、店員Hにべったりなんだよね。

もしかして、ココアさんの中に、キミがいるんじゃない?


だから、余計に、愛おしくてたまらない。


店員Hがいつか虹の橋の袂に行くその日まで、兄ちゃん達と仲良く愉しくやって待っててね。


明日のイヴには、あのごちそうをココアさんに食べてもらうね。

お空の上でも、兄ちゃん達と、愉しい宴会、クリスマスパーティーやるんでしょ?


一緒に、クリスマス、過ごそうね。


淋しさと、切なさが同居する、そんな今年もクリスマスになってしまいそうです。


ゆうくん、キミの四十九日の翌日がイヴだなんて、ちょっとでき過ぎだよ。


行っちゃうの?

行かないで。

せめて、あと1日・・・・・。


未だに、ゆうくん離れできない、店員Hです。



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