番頭デュークの業務日誌

画像: 突然のサヨナラ

突然のサヨナラ

2010年12月16日

間があいてしまって、すみません。
どうしても、あの日のことを書こうとすると、後悔や哀しみが押し寄せてしまい、
なかなか書くことができませんでした。

いまだに、あの数日間の地獄のような時間を思い出すと、
胸が締め付けられ、涙が止まりません。

喪失感に苛まれ、いまだに深く暗い海の中を彷徨っているかのようです。


11月2日。
あの日・・・
運命の朝・・・・・

前夜の検査の結果、腎臓の数値が跳ね上がり、白血球の数値も異常なほど多く、おまけに体温は37度に急降下。
前日、2.4kgあった体重は、たった一日で、2.15kgまで急激に落ちてしまいました。
体の小さなデュークにとっては、尋常な数字ではありません。
相当の脱水状態であることがうかがわれます。

どう見ても、デュークの腎不全の状態はかなり深刻なものでした。
緊急入院の上、本当に少しずつ点滴を落とし入れるため、1週間程度の入院を言い渡されました。


心臓の悪化で起こった肺水腫を治療するための利尿剤で、今度はこれまた老化で悪くなっていた腎臓に負担をかけてしまうことになり、結果、急激に腎不全を起こし、それが死因になってしまった。

直接的死因は、長く患った心臓の僧帽弁閉鎖不全症でも、去年判明した睾丸の癌のせいでもありませんでした。

まだデュークが仔犬の頃に、停留睾丸だったのを戸塚のN先生に手術でせっかく出していただいたのに、結局年をとってから癌になってしまい、判明した時にはすでに心臓が麻酔・手術に耐えられないと言われ、癌は取れずにそのままになっていました。
睾丸の癌は良性の場合も多く、シニアになってからであることからも手術のリスクより、そのままにすることの方が賢明との判断でした。

もしも、あのとき、救急にかからなければ、もしかしたら、デューは今もまだ生きてここにいてくれたかもしれない。
なまじ、隣に動物救急病院があったから、すぐに連れていってしまえた。
その判断は、果たして、正しかったんだろうか?

かかりつけのI先生は、その場合、利尿剤を使わざるを得ないことも丁寧に説明していただきましたが、素人頭には、やはり、もし救急にかからなかったら、デューはあんなに急に死ななくてすんだかもしれない、という思いと、仕方がなかったんだ、という思いの狭間を、堂々巡りしてしまいます。



入院直前、病院で検査結果を待つ間、
デュークが哀しそうな目で私の顔をじーっと長い時間見上げて見つめていました。
デュークがあんなことをするのは、初めてのことでした。

だから、なんだか嫌な予感がしたのです。
なんだか永遠のお別れを言っているかのように感じて・・・。

大勢の人が待つ待合室、つい周囲を気にしてしまい、こぼれ落ちそうになる涙をこらえようと上を向いてしまい、デューをあまり見てやることができませんでした。
もっと見ていたかった。
目を見てあげればよかった。
悔やまれます。

そして、
先生に抱かれて、奥へ消えていったのを見たのが、まだ意識のある状態のデュークを見た最後となってしまいました。
いまだにスローモーションのように、何度も何度もあの瞬間が思い出されます。

心配で眠れず明け方を迎え、それでももしデュークが帰って来られたら看護をしなければならないからと思い直し、ちょうど5時35分に着替えて床に入ったところでした。
デュークが、私が寝てしまう前に、知らせたかったのでしょうか?

携帯電話を手に持ったまま横になって間もなく、電話の着信音が、明け方の静寂を破りました。
飛び起きて、おそるおそる電話に出たところ、なんとお休みでそこにはいないはずのいつも診ていただくI先生の緊迫した声が聞こえてきました。

「デュークちゃんが、急変しました!急いで来てください!」

ああ、・・・・

・・・・来てしまった。

この電話が鳴らないことを、ひたすら願っていたのに・・・。

眠ろうとしていたのもあって、頭が真っ白に。
着替えてしまったので、また外出着に着替えなきゃ、と思うのですが、ウロウロしてしまうだけで、ちっとも着替えが進みません。
イライラするほど、無駄に時間を使ってしまいながら、なんとか1秒でも早く病院に向かわねば、と、ひたすらもがいていました。

ポメ店長とゆうくんは、一番寝込む時間帯だったこともあって、騒がずに寝ていてくれました。
「待っててね」と心の中で思いながら、車を飛ばして病院へ。

今思うと、どの道を通って病院まで辿り着いたのかすら覚えていないくらい動揺していました。
事故らなくてよかった。

6時5分に病院に駆け込み、看護婦さんに案内されて、デュークのもとへ。

I先生が、心マッサージをしてくださっている最中でした。
デュークは、すでに挿管され、いろいろな機械につながれて、口の管の脇から紫色になってしまった舌をだらんと横にたらして目をつぶっていました。

心マッサージを施しながら、I先生が説明を始められました。

5時40分に急変し、すぐに挿管、心マッサージを始め、もう30分が経とうとしているが、蘇生する気配がない。

心マッサージをしている手を先生が離すと、デュークの心臓は、もう本当にわずかに時々トクッと小さな山を描く程度しか反応がありません。
先生の手はまだデュークの心臓を忙しくもんでいました。

「デュー、還っておいでよ。もう一度。
このまま逝っちゃうなんて、いやだよ。
お願いだから、もう一度還ってきてよ。」

と、何度も話しかけました。

でも、残念ながら、デュークの心臓は、もうとことん疲れちゃってたみたいです。
どんなに泣き叫ぼうとも、戻ってきてはくれませんでした。

40分近く経ち、I先生も、このまま続けてもおそらくもう戻ってくれないだろうこと、
もし万が一戻ったとしても、脳に相当のダメージがかかっている時間でもあるということ、を、
静かに話されました。

もはや、私が判断するしかないのです。

しばし考えて、デュークにもう一度だけ話しかけました。

「デュー、もう無理?

戻ってこられないか?

・・・・・よく頑張ったもんね。

しんどかったもんね。

わかったよ。

・・・・もういいね?」


半ば自分にそう言い聞かせながら、そっとデューの頭をなでて、決断しました。

「先生、わかりました。

ありがとうございます。

もういいです。

デューを楽にしてやってください。」


静かに、先生がその手を止められました。

6時20分、デューの心臓は、その鼓動を止めました。

1997年7月10日に生まれ、13年と3カ月と23日めのことでした。



あまりに突然のサヨナラでした。

心の準備もできていなかったのに、突然訪れてしまったその瞬間・・・。


「お家に帰る用意をしますから、待合室でお待ちください。」

と、先生に促され、デュークをなでていた手をそっと離し、デューのそばから離れました。


今起こったことが、まだ全く信じられません。
放心状態のまま、誰もいない待合室の椅子に腰掛けました。

現実が受け入れられないまま、ただただ座っていました。

しばらくして、診察室に呼ばれました。
そこには小さな段ボール箱に、キレイにしてもらってタオルにくるまれて横たわっているデューがいました。


まだ、温かいデュークのカラダ。

まるで眠っているかのような、安らかな顔。


取り乱している私を、先生が慰めてくださいました。

「あれだけの悪い状態の心臓を抱えて、デュークちゃんは、本当によく頑張ったと思います。
僕としては、この状態でなんでこんなに元気にしていられるんだろうかと思うほど、でした。
お母さんのために、一生懸命最期まで頑張ったんだと思います。」

と、初めて告白してくださいました。

その言葉に、それまでこらえていたものが一気に耐えられなくなり、慟哭してしまいました。

前夜の検査結果を見た時点で、実は、もうかなり危ない状態であることがわかっていたので、
I先生は、初めから「今夜は帰らずにデュークの様子を見守る」と、決めていらっしゃったそうです。
私が心配するので、「明日は病院が休診日で私はいませんが、他の先生が朝と昼に来るので昼3時にその先生からご説明をします。その時に、デュークちゃんに会いに来てください。」と、平静を装って、しらばっくれてくれたことになります。

先生の思いやりに心から感謝しました。
お付き合いが長いだけあって、先生は、飼い主である私の性格までわかっていてくださったようで、私のために嘘までついてくれました。
その思いやりが、うれしくもあり、うらめしくもあり・・・。
複雑な思いが流れていきました。
それでも、やはり、先生には感謝しています。

診ていただいていた先代の院長先生が亡くなられてから、ずっとデュークを診ていただいてきたI先生に、最後は一緒に看取っていただけて、デュークは幸せでした。
私自身も、ずっと診ていただいた先生に手を尽くしていただき、ご説明をいただいたことで、
なんとかあきらめがついたことも確かです。

「力及ばず、すみません。」と小さな声で言って、先生が頭を下げられました。


「デューに私の声は聞こえていたでしょうか?」

「デュークちゃんの心臓は、かすかではありますが、まだ自発的に動いていました。
お母さんの声は、届いていたと思いますよ。」

意識のない状態になってしまってからしか会いにこれなかったことが悔やまれて仕方がなかったんです。
最期はこの腕の中で逝かせてやりたかったのです。
それも叶いませんでした。
でも、この先生の言葉に、ほんの少しだけ救われました。

だんだん冷たくなっていくデュークをなでながら、先生に詳しく状況を教えていただき、デュークの想い出話を先生と小一時間もしたでしょうか。
少しだけ、気持ちが落ち着きました。

改めて、デュークの心臓がどれほど悪い状態だったのかを、知りました。


ずっと苦しかったんだね。デュー。・・・

でも、もう苦しくないね。・・・


外に出てきた時、眩しいほどの朝日と、雲ひとつない真っ青に晴れ渡った高い秋の空が、泣き腫らして細くなってしまった目に飛び込んできました。
今の自分の気持ちには、まったく似つかわしくないくらいの、
澄み渡った青空と朝の空気に、一瞬眩暈がしました。
憎たらしいくらい・・・。
・・・よけいに哀しかった。

先生が車にデュークが横たわった小さな箱を乗せてくださり、先生と看護婦さんに御礼を言い、運転席に乗りこみました。
先生と看護婦さんが深々と頭を下げて見送ってくださる中、もう一度私も頭を下げて、家に向かって走り出しました。

「さあ、デュー、一緒におうちに帰ろうね。
ポメとゆうくんがデューの帰りを待ってるよ。」


駐車場に車を止め、小さな箱を大事に胸に抱きかかえ、家に向かう信号を待つ間、忙しそうに駅に向かう通勤の人や通学する小学生たちをボーっと見つめ、いつもの普通の日常の朝の風景なのに、なんでデューはもういなくて、こんな小さな箱に入ってるんだろう?・・・と、突然哀しみに襲われました。

一昨日まで、いつも通りに、よく食べ、よく遊び、元気にしていたのに。
なのに、もういないなんて・・・。

我慢できずに泣きながら小さな箱を抱えて歩くオバサンを見て、小学生たちが不思議そうに前を通り過ぎていきました。

やっとのことで家まで辿り着き、玄関の戸を開けて、
「ただいま。デューを連れて帰ったよ。
デュー、おうちだよ。帰ってきたよ。おかえり。」と言いながら、家に入りました。

ポメとゆうくんが起きてきて、デュークのハウスの前に置いたその小さな箱を、「なに?なに?」というように臭いを嗅いで回りました。
ポメは状況を察知したのか、心なしか哀しそうな表情をして、何度も覗きにきました。

箱を開けてやると、やっぱりデューは穏やかな顔のまま、そこに横たわっていました。
そっと触ってみると、もうそのカラダは冷たくなってしまっていました。

ポメとゆうくんが、代わる代わる、
「なんで、デューはこんなとこに寝てるの?」と、
不思議そうに箱の中を覗き込んではクンクン臭いを嗅いでいます。


私は、ただただ、現実が受け入れられないまま、長い時間、放心状態で座り込んでいました。



はあ~、・・・

ずいぶん長くなってしまいました。


でも、やっと、ここまで書くことができました。


あともう少しだけ、お付き合いください。

次回に続きます。


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