番頭デュークの業務日誌
![画像: ゆうくん永眠しました。](https://encore.ocnk.net/phone/data/encore/image/20141108_4fcd44.jpg)
ゆうくん永眠しました。
2014年11月08日
11月5日、14時。
突然ですが、ゆうくんが永眠しました。
番頭デュークの2日の4回目の祥月命日が終わった深夜、3日の0:40に、突然の重い癲癇発作を起こし、その後一旦は小康状態を取り戻してくれ、3日の夜には、いつもの半分の距離のお散歩も愉しめたほどだったのですが・・・。
お散歩から帰って、いつものように眠り、その日の深夜目覚めた時には、呼吸がおかしくなり、立ち上がれなくなっていました。
3日未明の発作が大変重いもので、どうやら呼吸中枢と運動中枢がやられてしまったようです。
抗てんかん薬で抑えても、これまでも小さな発作が頻発し、脳に少しずつダメージをもたらした結果、10/23の眼振発作で脳幹にまで浸潤してしまったと思われると、医師からも伝えられていました。
突然始まってしまった呼吸困難と立ち上がれないもどかしさに、ゆうくん自身が、きっと一番「なんで?」って、訳が分からなかったと思います。
脳幹は生命を司る中枢神経の集まるところ。
10月23日の眼振発作の時の診察で、既に医師からは、危険が迫っていることは伝えられていました。
気を付けて見ていたのですが、それは突然起こってしまい、どうしようもありませんでした。
特に呼吸困難が続き、苦しそうで眠れないまま過ごしているのを見て、4日も未明に、ぬのかわ先生に電話で、状況を説明し、どうしたらいいかご相談しました。
舌にチアノーゼも出ていないこともあり、なんとか呼吸できているので、そこまでの緊急事態でもなさそうだとのことで、今車に乗せてさらに発作を呼ぶ方が怖いので、今は安静を優先して、通常診察時間に来てくださいと言われました。
そして4日午前、戸塚まで大渋滞の中、かかりつけのぬのかわ犬猫病院に辿り着き、この日は院長先生は予約診療だったので、10/23の眼振発作以来代わりに診ていただいているDr.コトーこと古藤先生に診察していただきました。
とにかくまず脳圧を下げる注射をし、水が飲めていないので点滴を施したとのこと。
大発作からのリカバリ途中の、一番状況が悪い過程であるとすれば、ステロイド剤で脳圧を下げ続ければ、1週間前後で元に戻れる可能性もある。
もし、ダメージが中枢神経に拡がり、その浸潤が高ければ、近い将来、お別れがくるかもしれない。
との見解を知らされました。
前者であることを希望に持ちつつ、治療を開始。
病院で処置後にコトー先生とお話している間に、どんどん回復し、元気な表情に戻り、カートに立ち上がって抱っこをせがむまでに、回復してくれて、ビックリしたくらいです。
よかった~~~!!!と、思ったのもつかの間、・・・
1時間後に帰宅して見たら、また呼吸がおかしい。あえいでいます。
ただチアノーゼはなさそうなので、しばらく様子を見ることに。
もうひとつ、心配の種がありました。
朝は自分でひっくり返りながらも、チッコ場で介助しながらも大量にチッコもできたのですが、いつもは2時間置きくらいにチッコをするゆうくん、普段なら午前中のお出かけをすると、帰宅直後にさっそくチッコ場へ急ぎます。
それがバタバタっと後ろ足をひきずるように、チッコ場へ行くのですが、いつものように2周くらい回ってしようとするのですが、後ろ足がついてこず、すぐにへたりこんでしまい、チッコが思うようにできませんでした。
それから、夕方までに、何度となくチッコ場へ駆け込もうとどったんばったん倒れながら、なんとかチッコ場まではいくのですが、介助して立たせてあげても、神経質なゆうくんは、チッコができませんでした。
夜になっても一度も出ない。
これはまずい。
朝もいつもの1/4量くらいは流動食状のごはを水多めで作って食べたし、午前中の病院の処置で点滴もしていただいているので、チッコは溜まっているはずです。
ただでさえ、呼吸が苦しいのに、チッコが出せなくて苦しんでいると思い、夕方たまらずまた病院に電話。
コトー先生も、膀胱がパンパンになっているか確認をさせて、その時は、触ろうとしても、体が力が入らずくにゃくにゃの状態で、素人には膀胱の膨らみが触ってもわからない。
結局、チッコを出してもらうために、再度戸塚までの往復となりました。
夜は車も空いていて、高速利用なので、割と早く着きました。
エコーで見ていただいたところ、膀胱はそれほど一杯な状態でもなく、カテーテルを差し込んで全部出してみたら20ccしかありませんでした、とのこと。
脳の中枢がやられると、膀胱を閉じてしまうことがあると、電話でコトー先生に聞かされたので、それはないと言われてホッとしました。
内臓の丈夫さは天下一品のゆうくん、膀胱も消化器系も問題なく動いていて、だからごはんも食べられるんだと思います。チッコも便もたまればこの状態なら自然に押し出されますから、大丈夫。とのお墨付きをいただきました。
介助も特に必要ないそう。
ホッとして、帰宅しました。
快調に飛ばして帰宅途中、もうすぐ家というところで、助手席に伏せしていたゆうくんが、ワンワンワンと突然何かを訴えるかのように切迫した感じで鳴き、立ち上がろうとしました。
危ないと伏せさせたのですが、なにやらまだ何度か立ち上がろうとしていました。
運転しているので、見ていられません。
もう少し待って。
帰宅して見たところ、どうやら夕方食べたご飯を、少し吐いたようで、エプロンに全部付着していて下に敷いていたペットシーツにも色がついていました。
とりあえず、チッコもとってもらったし、今夜はゆっくり休めるといいね、って言っていたのに。
その後もずっと様子を見ていましたが、呼吸が辛いらしく、朝まで全然眠れず。
前日も24時間ほとんど眠れていませんでした。
どうしちゃったんだろう?
前夜もそうですが、ゆうの横の床に添い寝して、ずっとゆうの様子を見守り続けました。
そして、5日朝、ご飯をいつもの半分量作ってあげたところ、そのまた半分を何度かに分けながら食べ、一瞬ヒッとびっくりしたようなそぶりを見せて、もういらないというので、いつもご飯の後、チッコをするゆうくんなので、「ゆうくんおチッコしよう。溜まってるよね。」と抱っこしてチッコ場に連れていこうとしたら、ワンワンワン!と叫んだので、どうしたのかと思ったら、縦に抱っこしたままジャーッと店員Hの足に大量のチッコ漏らし。
食べている間に、びっくりしたような顔をしたのは、今思えば、もしかしたら、嚥下障害も生じていたのかもしれません。
そうなると、食べ物も食べられなくなり、やがて・・・・と、それも医師に訊いていたのでした。
その時は、チッコが出てくれたことに、大喜び。
ゆうくんのチッコまみれになりながらも、嬉しくて嬉しくてしょうがなかったのを思い出します。
チッコができたゆうくん、その後は、何故か多少呼吸も穏やかになり、チッコが出せなくて呼吸が早くなっていたのかも、と勝手にいいように解釈していました。
そして、2日ぶりに穏やかな寝息を立てて、お気に入りのベッドでスヤスヤ寝始めました。
午前中は、ずっとそんなふうにして過ごし、店員Hもその穏やかな寝息が聞きたくて、ずっと隣に寝転んでゆうくんの眠るお顔を見つめて過ごしました。
ゆうくんを仲介してくださったアイドッグ・レスキュー隊の代表・ケイトさんからの、酸素室をレンタルされたらどうか、というお勧めに、そのレンタルできるサイトのご紹介を受けたり、メールで何度かやりとりして、ちょうど午前中ずっといい方向に向かうといいですね、というお話をしていました。
その後、12時54分に、いつもたいてい昼夜0時に合わせて飲んでいる抗てんかん薬に加えて、昨日処方されたの脳圧を下げるためのステロイド剤10日分処方された分の初めての1個を、いつものようにチーズにくるんで飲みこませました。
治療は始まったばかり。
頑張れ、ゆうくん!
そう思っていました。
そして、運命の13:30過ぎ。
静かだった寝息に比べて、起きているとハアハアと苦しそうな呼吸が聞こえます。
ゆうくんもう一度寝たら?
と、話しかけた途端、慌てて立ち上がったかと思うと、もつれる足でバタバタとベッドから飛び出そうとしては崩れ落ちる感じになり、チッコがしたいのかと抱き上げてチッコ場に連れて行き、介助体制で立たせたところ、なんだか体がくたっとしていて、様子がおかしい。
え?と思って、縦に抱きなおしたところ、発作だ!!
もうその時には、目が宙をさまよい、二度ほど、まるで壊れかけのロボット人形が電気がショートしているかのような変な動きをしたかと思ったら、次の瞬間カクッと体から力が抜け、触れていた心臓もパタッと止まってしまいました。
本当に一瞬の出来事です。
心臓が止まっちゃった!
どうしたらいい?
パニくる頭に落ち着け落ち着けを繰り返し念じながら、まず一旦ゆうくんをその場に寝かせ、冷蔵庫に走りいただいていた重積発作が起こった時に使うための坐薬を、震える手で何度も失敗しながら開け、素手で一気にゆうくんのお尻に突っ込みました。
そして、とにかく近くの獣医さんに走れ!と、Dr.コトーに言われた通り、5分後には、前にお世話になっていた病院に駆け込んでいました。
「呼吸が止まってしまっています!大至急なんとかしてください!」
「蘇生しますか?」
「お願いします!」
すぐにバタバタと休憩中だった先生や看護師さんたちが、準備をし蘇生に入りました。
必死で心マッサージをする女性看護師さん、注射を打つ先生、
計器をゆうくんに取り付ける看護師さん・・・。
大勢のスタッフさんが、それぞれの役目を、的確かつ迅速に始めてくれていました。
その手早い作業を、遠目の場所から、最初は茫然として眺めるしかありませんでした。
4年も前にその病院から転院していたので、カルテは倉庫の中。
先生が、一から説明させるために、手は動かしつつも、手際よく質問してくださり、必死で落ち着け落ち着けを念じながら、それに早口ながらも丁寧に答えていきました。
コトー先生から、前夜の通院の際、本当のところはと突っ込んだ質問をし、先生の見立てとしては、「おそらく中枢をやられた方が可能性が高く、今何が起こってもおかしくない状況にある」。
だから、覚悟が必要。こうなった場合には、こうする・・・という具体的な行動に至るまで、事細かに教えていただきました。
それがあったからこそ、あんなにパニックになりながらも、すぐに近くの病院に飛び込み、意外と冷静にゆうくんの病状を的確に先生に伝えることができました。
心マッサージを始めて10分が過ぎた頃、先生がおもむろに、3本注射をしていますが、全く戻ってくる波形が現れません。
この子の場合は、癲癇発作で脳死状態で、それに伴い心臓も止まってしまっているので、おそらくもう戻らないと思われます。
万が一、戻れたとしても、脳死状態で、植物状態になる可能性が大です。
どうしますか?
「今、仕事に行っている旦那にも相談したい。」と答えました。
慌てすぎて、携帯を家に置いてきてしまった店員H、あまりに頭が真っ白になってしまったせいで、滑稽なことに、旦那の携帯番号が全然思い出せません。
おまけになんで?と思うんですが、旦那の会社の名前まで思い出せなくなってしまいました。
あれは何だったんでしょうか?
先生が場所からネットで会社を探してくれたりしましたが、探し切れません。
先生が必死で検索してくださっている間に、だんだん記憶が戻ってきました。
で、電話を借りて、たしかこんな番号、とかけたところ、つながった。
もう予感がしていたのか、店員Hの声を訊くなり、仕事中の旦那は声をあげて泣きじゃくっていました。
もう楽にしてあげよう・・・・
私たちが出した答えです。
そして、14時。
ゆうくんは、店員Hにさすられながら、旅立ちました。
13才と7ヶ月と4日。
9才で我が家に来てから、約4年と4か月。
重い癲癇を持ちながらも、よく頑張って生き抜いてくれました。
褒めてやりたいと思います。
えらかったね。ゆうくん。
去年11月25日に、ポメを見送ってから、また1年後の同じ11月に、ゆうくんを見送ることになってしまいました。
我が家の3ポメは、揃いも揃って、11月に虹の橋の住人になりました。
どこまで仲良しなんだ。君たちは。
しばらくゆうくんを抱きしめたまま、とめどもなく流れる涙でぐしょぐしょになりながら、ゆうくんに「ありがとう」を繰り返していました。
「かわいい、かわいい、ゆうくん、
うちに来てくれて、ホントにありがとう。
あなたのおかげでどんなに愉しかったか・・・。
次に生まれ変わったら、また必ず、うちの子になってね。
今度は、ちっちゃい時のゆうくんとも会いたいな。
ポメ兄とデュー兄ともうすぐ会えるね。
きっとお迎えに来てくれてるから、大丈夫だよ。
もう苦しくないよね。
今は元の元気な体に戻って、もう走り回れてるよね。
虹の橋で仲良く3匹揃って、いずれ店員Hと旦那が行くのを待っててね。
愛しのゆうくん、バイバイ!」
ゆうくんを綺麗にしてもらっている間、待合室で放心状態のまま待っていました。
そこへ「林さん、ですよね?」・・・
名乗ってもないのに、なんで知ってる人が・・・?と、その女性の顔を改めて見て、ビックリ!
デュークが最期の時、病院に担当医師と泊まり込み、やはり心マッサージを施してくれて、最期を一緒に看取っていただいた看護師Hさんでした。
私、ゆうくんの心マッサージ、ずっとしてたんですけど・・・・って。(^^;)
パニクリすぎて、全然気づきませんでした。
いつもは分院にも行かれているので、あの日そこに勤務されていたのも、偶然。
最初すぐに店員Hだとわかったとおっしゃっていましたが、抱いているのが「あれ?デューちゃん?そんなわけないし・・・」とよく見たら「ゆうくんでした」って。
それほど、デューと似てきていたということだと思います。
偶然にも、デュークの最期を看取っていただいた看護師さんに、ゆうくんも看取っていただけた。
奇跡です。
どうも、これもお空のデュークが段取っていたような気がしてなりません。
以前診ていただいていた担当医は、もうお辞めになられていらっしゃらなかったのですが、一番懐かしい人に出会うことができ、一気に感情が爆発して声をあげて泣きじゃくってしまいました。
そして、綺麗にしていただいたゆうくんをこの腕に抱き、お世話になった先生と看護師Hさんたちに見送られ、無言の帰宅となりました。
突然の旅立ちに、まだ心の準備が伴わず、ゆうくんをベッドに寝かせて、そのままその場にへたり込み、放心状態でした。
旦那の帰宅を待って、今度は夜にぬのかわ院長先生とコトー先生にご挨拶がてら、ゆうくんの旅立ちの準備を改めてお願いするために、また戸塚までの往復です。
「あれだけ重度の癲癇を持ちながら、小さな体で、13才まで、本当によく頑張ったと思います。限界まで生ききったと思います。」と、最期を看取っていただいた先生にも同じことを言われましたが、院長先生にも同じことを褒めていただきました。
コトー先生からは、「発作と同時に脳死と心臓死が同時に起こったとみられるので、まず一瞬たりとも苦しまずにすんだと思いますよ」とも・・・。
少し気が楽になりました。
綺麗な棺に、お花を抱かせてもらい、横たわるゆうくんを戻していただきました。
先生方、スタッフの皆様、本当にお世話になりました。
さあ、一緒におうちに帰ろう。
その時々でいろいろな想いを抱きながら通った、この病院への道も、もう再び通うこともないのだ、と思ったら、いろいろな思い出が走馬灯のように現れ、また涙が溢れてきました。
涙で前が見えなくて、高速運転。ちょっと怖かったです。
その後2日は、店員Hがゆうくんのために死ねないと先月から受けていた検査や人間ドッグの最後の検査が予定されていたので、目的は失ってしまったけれど、ゆうくんはきっと行って来な、っていうだろうから、と、行くことにしました。
その後は、放心状態ではありながら、いろいろお世話になった方に最後のお別れ、思い出の地巡りをして過ごしました。
その詳しい顛末は、また改めて・・・。
そして、
今日8日夜、
デュークとポメが旅立った場所から、ポメとデュークとやはり同じ秋の夜空に、ゆうくんを還します。
ふたりを一緒に見送ってくれたご担当者さんを指名させていただいたら、その方から、残りますから時間外の19時頃(18時にお寺着予定)でいいので、ゆっくりと時間を気にせずお別れをされてくださいという、ありがたいお申し出をいただき、お言葉に甘えることになりました。
VIP待遇だね、ゆうくん。(^^)
デュークとポメを見送ったことを、ちゃんと覚えてくださっていました。
本当にありがたいです。
3ポメ兄弟、みんなそれぞれが、人と人を繋ぎ、温かい人間関係を、私たちに贈ってくれました。
ただただ、感謝しかありません。
まさに、「人徳」ならぬ「犬得」です。
ゆうくん、愛おしいゆうくん、
そのかわいいからだには、もう触れられなくなっちゃうね。
それが店員Hは、とっても辛いけど、
虹の橋でポメ兄とデュー兄が待ってるから、お迎えにも来てくれるから、怖くないよ。
会いたかった兄ちゃん達ともうすぐ会えるね。
今夜もずっと、ゆうくんとの最後の時間を、ゆっくり過ごしています。
ああ、もう夜が明ける・・・
サヨナラが近づいています。
みんなが虹の橋に引っ越してしまい、ガランとした部屋は、火が消えたようで、寂寥感に包まれています。
やっぱり、
寂しいよ。
旦那のブログ「ポメとデュークとゆうくんと ~じいちゃんポメ3兄弟なかよし日記」
http://pomedukeyu.exblog.jp/
でも、ゆうくんのことを綴っています。
よかったら、どうぞ覗いてやってください。